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🌸大好きなおばあちゃん🌸

 
 
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大好きな大好きなおばあちゃんがここ2ヶ月
ずっと頑張っています。
 
おばあちゃんとは色んな思い出があって
一緒に過ごした日々を思い出しては
その度に涙が溢れてしまいます。
 
特に忘れられないのが、高校三年生の夏。
私は東京の大学に行きたくて
両親と話し合いを重ねていました。
 
女の子だし心配だから
地元の大学に行って欲しい。
 
というのが両親の想いでしたが
恋愛にも興味がなく、
家にいることが大好きだった私は
このまま福岡にいたら、
これまでと何も変わることなく
人生が終わってしまいそうな気がして
どうしても東京に行きたい。
という思いが強くありました。
 
話し合いは平行線で
両親との会話がぎこちない日が続きました。
 
自分の意思は曲げられず、頑固な私は
その頑なな意思表示を言葉では表せず。
おばあちゃんの家に家出を決意。
(家出と言ってもおばあちゃんの家笑)
 
登校する前に予備の着替えをカバンに入れて
制服に着替えて家を出ようとしました。
 
すると母が
私の異常なカバンの膨らみに気づき
あえなく着替えは取り上げられました。
 
制服といつもの荷物で学校に行くことに。
1日中、授業も身に入らずモヤモヤしていて。
 
下校の時間、制服のまま、家には帰らず
なんの準備も持ってきてないけど、
決めた通り、おばあちゃんの家に行く事にしました。
 
おばあちゃんが驚くといけないから
高速バスターミナルからおばあちゃんのお家に
電話をかけてからバスに乗り込みました。
 
きっと、え?どうしたの?何かあったの?
と聞きたかったと思うのですが
『わかったー、気をつけておいでね。』
と何も聞かずに受け入れてくれました。
 
準備していたものは母に取られたので(笑)
お家についておばあちゃんの部屋着を借りて
テレビを見ながら、たわいも無い話をしました。
布団を並べて寝て
最初で最後の2人きりのお泊まり。
 
『ここに来るなら(おばあちゃんの家)に行くんだったら着替えを取り上げず、持たせておけばよかったー。ってママが電話で言ってたよー。ホントよねぇ、何処に行くと思ったんやろうねぇ😊』と笑い飛ばしてくれて。
 
1日モヤモヤしていた気持ちがスッキリ。
 
おばあちゃんが受験させるだけさせてみたら?
と両親に言ってくれて、受験し合格すると
両親も納得してくれました。
 
今、私が東京にいるのも
セント・フォースに所属しているのも
アナウンサーの仕事をしているのも
おばあちゃんの家に家出していなかったら
なかったかもしれません。
 
私の人生を大きく変えてくれたおばあちゃん。
 
短歌の先生だったおばあちゃん。
 
化粧品は全て
クレドポーボーテを使っていたおばあちゃん。
 
戦争の体験談を沢山教えてくれたおばあちゃん。
 
お茶とお買い物が好きなおばあちゃん。
 
90近くなっても食欲旺盛だったおばあちゃん。
 
夜型で私たちと夜遅くまでお喋りしてくれたおばあちゃん。
 
洋服だけでなく帽子やブローチやアクセサリーなど
小物にも気を使うおばあちゃん。
 
会う度にお洋服と本を買ってくれたおばあちゃん。
 
会う人みんなに
私を自慢げに紹介してくれたおばあちゃん。
 
テレビを見るのが大好きだったおばあちゃん。
 
孫たちの写真を
常に部屋に飾ってくれていたおばあちゃん。
 
家族のことを想い
毎日写経をしていたおばあちゃん。
 
祖父が亡くなってから30年近く
一人暮らしをして頑張っていたおばあちゃん。
寂しい日もあったんじゃないかなぁ。
 
『奈央ちゃん雨の日こそ明るい傘をさしなさい。
その方が表情がパーッと華やかに見えるでしょ?』
雨の日の自分の見え方まで意識していたおばあちゃん。
 
そう言われて以来、今でも
ピンクや花柄の明るい傘をさすようにしています。
 
6年前『奈央ちゃんは焦らず、しっかりと見極めて素敵なhusbandを見つけなさい🥰』
と言っていた時の写真です。
 
コロナの影響もあり、孫である私たちは
今は会うことが出来ないのですが
母と叔母と伯父が1日1回面会して
様子を伝えてくれています。
 
 
いつかは、来る日を覚悟して。
 
 
大好きなおばあちゃんの事を
今日も考えています。

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